スーパーどうでもいい話ターイム。
読む側のことなど考えず、書きたいことだけを書く。
人それを、ひとりよがりと呼ぶ!
ペンネームとは何だろうか。
ハンドルネームでもいいや。
リアルな自分を隠すための隠れ蓑か?
リアルな自分を忘れるためにつける仮面か?
この名前を使っている間は、リアルでのワシを知らない人にはワシという人間の正体というものが知られない。
昔からそんなに目立ちたくないタチだったので、うっすらプロの漫画家を目指し始めた時から、本名でやることは考えていなかった。
誰かにバレないための、ただ、それだけの名前。
誰かにバレないとしても、もう一人の自分なんかじゃなく、
イコール自分である、ただそだけのこと。
まぁ、今考えると、ワシの名前を知ってる人が、今後ワシの漫画を偶然目にすることなんてほぼないことだろうから、本名でやっても何の問題も無いんだけどね。
まずワシの作品が世に出るかどうかも分からんし。
「吉緒まさお」なんて、どうせ実績も何も無い名前。
ていうか
「吉緒」が読みにくいしね。
「よしお」だよ。
今捨て去って、本名で再スタートするのもいいかもしれない。
が、なんやかんやでもう10年もこのPNを使って活動してきたので、愛着もある。
そもそも何でこんなPNになったんだろうと、たまに思い返す。
はっきりと覚えているが、このPNを考えたのは、中学生の頃だ。
それまでのワシは、まぁ漠然と、楽しいからただ漫画を描いている人間だった。
将来はこの流れで漫画家になるんだろうと、ぼんやりとだが確信していた。
現実を知らない漫画好きのガキは、えてしてこんな思考回路だろう。
普通、この年頃だとだいぶ「厨二」な名前を思いつくもんだが、ワシの考えたPNは
「よしおまさお」なんつー、まぁ
全国のよしおさんとまさおさんには悪いが、ちょっとダサい名前だった。
ちょうどみずしな孝之先生の
「サボテンキャンパス」(竹書房)にハマって、4コマを描き始めた時期で、その時サボキャンを参考に描いた、始めてのオリジナル4コマ漫画。
その主人公が、「まさお」で、副主人公は「よしお」だった。
まぁ、そのオリジナルを描く前に、あるゲームのパロディ漫画があったのだが。
(RPGの主人公の名前が「まさお」だったらなんか違うなぁ、みたいなネタを描いた)
何はともあれ、ワシが4コマの世界を目指し始めた記念すべき作品であり、原点でもある。
今思い返すと出来はひどいもんだと思うが。
キャラを気に入ったワシは、スピンオフ作品のような形でまさおを主人公にした漫画を描いて、友達に見せていた。
と同時に、この作品が世に出ることは一生ないだろうとガキながらに悟り、その時から自らのペンネームとした。
苗字も名前も下の名前のように聞こえて面白いんじゃないかと。
「よしおさん」とか「まさおさん」とか呼ばれて、「いや、よしおかまさおか名前どっちだよ」みたいなやりとりを想像してほくそえんでいた。
姉には「よしお」の「お」は「尾」の方がいいんじゃないかと言われたが、パッと見で
「吉尾」よりも「吉緒」の方がかっこいいんじゃないかという理由で「緒」にした。
10年経った現在、「吉緒」でググるとかぶってるHNの人が何人かいらっしゃる。
え、君らなんで「吉緒」とか意味わからんHNなん?とかツッコミたいが、人のことは言えない。
昔話のパロディ漫画とかも何作か描いた。
桃次郎とか、浦島バロンとか。
小学校時代からの持ちキャラ「ちゅーすけ」というネズミキャラもいた。
体の形は、梶原あや先生の影響をモロに受けていた。
あずまんが大王が流行ったワシの中での4コマ最盛期。
サボキャン、BBJokerなど、今でも大好きな作品だ。
一時期ストーリー漫画を描いたりもしていたが、最後まで描き切れることはまれだった。
中学3年あたりでは、漫画用ノートを作り、授業中に4コマを描きまくった。
超能力者が集まる学校の4コマ、西遊記を題材にした4コマ、自由奔放な少女が主人公の4コマ。
まぁ、あれよ。出来はなかなかひどいもんだが。
タイトルは忘れたが、「関西人が転校してきたのに関西弁じゃなくてクラス一同がっかり」、みたいなネタだった。
姉が腐女子で、同人誌とかもやっていた。
中学に入ったあたりから、その同人誌にゲストで何ページか描いたりした。
姉に悪影響を受けたせいで、たまにガンダムとかデジモンで同人誌描いて、姉のスペースで売ってもらった。
一冊100円で、あんまり売れもしなかったが、売れた時は結構嬉しかった。
その時のPNとして、「吉緒まさお」は便利だった。
福島は
腐女子が元気な県と思っているが、同級生の腐の方々とかに、同人描いてるなんて知られたら嫌だもの。
たまに姉に委託販売的に頼んでいたが、自分でスペースに座ることはなかった。
社会人になってすぐの、
集英社のある雑誌の4コマ漫画賞。
それの末端の賞にひっかかった時、ワシの4コマが1コマだけ載った。
死ぬほど嬉しかった。
「吉緒まさお」として載ったこともそうだが、まぁ末端とはいえその程度の力はあるんだという実感、安心。
だが、やはり末端。やはり大手集英社。
ビビりで積極性を持てないワシは、担当さんからの
「担当になった」報告以降、何かが進展することはなかった。
ネームは送ったが、漫画家志望者と編集者のルールなど知らず、動けず、その後もちろん電話もかかってくることはなかった。
ただただ後悔した。
担当がついたということに興奮して、聞いておくべきことを聞くのを完全に忘れた。
「ネームを送ったあと、こちらから電話すべきか」とか、いや、そんなこと以前に、
基本的なこと全部を、聞くべきだったのだ。
ワシの送った賞は特殊で、
受賞者15人、全員が同じ人に担当されることになる形だった。
とにかく手間が増えた中で、末端の賞の自分が下手な質問で時間を取らせるわけにはいかない。
そんな、
飢えを忘れた判断が、全部を終わらせた。
あれが、最初で最後のチャンスだったと思う。
1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、やがて「あの時送ったネームなんですけど」なんて言えるわけもないほど時間が経っていた。
編集者には多分、編集者ごとのルールがある。
最初からネームを送るか、プロット段階から打ち合わせるかでも個人ごとに違う。
ワシはその、個人的なルール以前の基本ルールすら知らなかった。
最初に受話器を置いた時点で、負けは確定していたのだろう。
もう3年経った。
つかみかけたチャンスを自分の手で握りつぶし続けて、いつの間にかそんなにかかった。
毎日毎日愚痴にまみれ、
こんな風にブログを更新している。
「才能」とかそういう言葉を否定した時期もあったが、
「センス」というものの個人差は確かにあると思う。
それは話を考えるセンスだったり、ギャグを思いつくセンスだったり、物を立体としてとらえるセンスだったり。
別に天から与えられるものということではなく、今まで生きてきた中で自然と培ったものであり、言ってみれば意識の外の努力、みたいなもんだろうか。
何かに関心を持つことだったり、じっと観察したり。
深く考えたり、想像することだったり。
そういうひとつひとつが、あらゆるセンスを培っていく。
ワシのようにどれも深くせず毎日を生きてきたなら、それはもう今までの自分のダラダラを後悔するしかない。
あとは、意識して努力して補うしかない。
みんな、努力している。
多かれ少なかれ、実績を出している人は、それ相応の努力をしている。
今までワシが実績を出せなかったのは、つまりただそれだけのことだ。
実績を出すに足る努力をしてこなかった。それだけのことだ。
努力をすれば結果に出るし、努力を怠っても結果に出る。
本当の名前と22年、吉緒まさおという名前と10年連れ添った。
この名前に、ちょっとした冠をプレゼントしてみたい。
この名前が、存在した証拠を残したい。
自分が中途半端な人間だと自覚しているが、半端者は半端なりに、生きる道がある。
頂点なんて狙わなくても、目の前の山をひとつひとつ、確実に越えていく。
これは自分へのエールであり、ブログに書いてもしょうもないことだけど。
こうでもしないとやっていけないのが半端者の痛いところなのです。
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